四国とは 四国地方
四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つ。本土四島の中では最小。五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、近世以降は「四国」と呼ばれた。今日では、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの県で構成されている。
【参考サイト名】 四国地方 - Wikipedia
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四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つ。本土四島の中では最小。五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、近世以降は「四国」と呼ばれた。今日では、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの県で構成されている。 四国本土と付属島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島など)で「四国地方」を成す。「四国」と言った場合、通常は「四国地方」を意味するため、島について述べる場合には「四国本土」や、便宜的に「四国島」と呼ぶこともある。 四国地方を構成する4県(徳島県・香川県・愛媛県・高知県)は、島内交流と合わせて、本州との交流も盛んである。徳島県は経済・文化ともに近畿地方の影響を大きく受けており、香川県は文化・経済の両面で岡山県との繋がりが深く、愛媛県は広島県や九州の大分県との交流が見られる。 古代においては伊予之二名島(伊予二名洲、いよのふたなのしま、いよのふたなしま)または単に伊予島(伊予洲、いよのしま、いよしま)、二名島(二名洲、ふたなのしま、ふたなしま)と呼んだ。「フタナ」は二並びの意。 約1900万年前の日本列島の誕生に伴い四国の前身が誕生した。瀬戸内海を挟んで、近畿地方、山陽地方、九州に三方を囲まれた位置にある。島の中部には、各県を分断する様な形で四国山地や讃岐山脈の山々がそびえており、この地形が近年まで各地域間の交流を困難にしていた。 中央構造線が吉野川北岸から佐田岬半島にかけて東西に貫いている。構造線以北の内帯(西南日本内帯)に当たる地方では、中生層・古生層とこれを貫く火成岩が分布している。構造線以南の外帯(西南日本外帯)に当たる地方では、北側から南側にかけて中生層・古生層が形成された順に配列している。 徳島県の一部、香川県全域、愛媛県東予地方、中予地方の、瀬戸内海に面した北側は、瀬戸内海式気候に属する温暖寡雨な気候であり、台風等の直撃も比較的少ない。その為にオリーブやミカンの栽培が盛んである。その反面、大規模な河川は太平洋や紀伊水道に流れ込む形となっているため、水資源に恵まれず、過去幾度かの渇水に見舞われてきた。このため、満濃池を初めとするため池が多数造られている。その中でも特に、香川県は古来から水不足に悩まされ続けており、渇水対策として吉野川の水を送水する為の香川用水が建設された程である。 徳島県のほぼ全域、愛媛県南予地方、高知県全域の、太平洋に面した南側は、太平洋側気候に属している。太平洋沖合を流れる黒潮の影響を受けて、温暖であり、本土で最初の桜の開花宣言が高知市又は宇和島市となることも少なくない。それ故に、特に高知県では促成栽培が盛んであったり、プロ野球チームのキャンプ地になったりと、温暖な気候を生かした産業や行事が発達している。 年間降水量が多いことから林業も盛んであるが、一方で高知県全域及び徳島県南部では、台風の来襲や集中豪雨も多い。この為、室戸台風などの大型台風が直撃し、洪水などの被害を受けている。 四国は、畿内から南西側に位置しており、海路で移動する為に、五畿七道では南紀や淡路島と一緒に南海道に含まれていた。又、海路での移動と、四国山地の険しさから、伊予国と土佐国は流刑地にされていた。 戦国時代の四国の大名としては、三好の三好長慶や、中村の土佐一条氏や、土佐国の長宗我部元親がいた。三好長慶は、阿波国から山城国に渡る8国を支配圏に収めて、短期政権を握っていた。特に、土佐一条氏の本拠地があった現高知県中村市は、「土佐の小京都」とも呼ばれていた。 江戸時代になると、それまで四国各地を治めていた戦国大名は追放され、本州各地から戦国大名が転入して、大小多様な藩(地方王国)を樹立した。四国の代表的な藩には、阿波国と淡路島を領土とする蜂須賀氏の徳島藩、水戸徳川家の分家が治める高松藩、山内氏が治める土佐藩、仙台伊達氏の分家が治める宇和島藩などが分立していた。
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