特急
 特急とは

特急とは 特別急行列車

特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)とは、鉄道における広義の急行列車の一種で、狭義の急行列車の上位に位置する列車種別である。「特別急行」を略して特急(とっきゅう)ともいい、基本的には「特急」で通用している。なお、転じて、仕事などを大急ぎで行うことを意味する慣用句的用法もある。(例:「この服を特急でクリーニングして下さい。」


【参考サイト名】 特別急行列車 - Wikipedia

特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)とは、鉄道における広義の急行列車の一種で、狭義の急行列車の上位に位置する列車種別である。「特別急行」を略して特急(とっきゅう)ともいい、基本的には「特急」で通用している。なお、転じて、仕事などを大急ぎで行うことを意味する慣用句的用法もある。(例:「この服を特急でクリーニングして下さい。」 )
鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。ただ、過去において「準急より遅い列車を特急と称し、不当な料金を徴収している」との訴えによる裁判の判例にもあるが、特急列車とは単に速度の速さのみに関らず、連結車両の優劣、運転時間帯、他の列車やバスなどとの接続時間などを総合的に判断して決定されるべきだとのことである。
米国には「特急」にぴたりと当て嵌まる列車種別は無い。欧州のインターシティInterCity (IC) 列車は、都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、かつ平均停車間隔も長いものでは100kmを超えるが、短いものでは20kmにも満たないという点で、現在のJRの特急列車に限り無く近い性質を有していると言える。通常、英語訳には、かつての米国の例に倣いLimited Expressが当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんど死語になっている。また、京王電鉄のようにSpecial Expressとしている例もある。JR九州の特急列車には、車体にIntercityのロゴを塗装してあるものがある。またフランス語ではRapidと言われるが、この単語は日本では快速列車に使用されているので誤解を招いている。
特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「最急行」という種別をつけることがあった。その中でも1906年(明治39年)4月16日に、国有鉄道の新橋駅〜神戸駅間で設定された「最急行1・2列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。
「特別急行」の種別を初めて用いたのは、1912年(明治45年)6月に前述した「最急行1・2列車」を区間延長する形により、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一翼を担う「大陸連絡列車」として、新橋駅〜下関駅間で運転を開始した1・2列車である。編成内容も一等車・二等車のみで展望車が最後尾に連結されるなど、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。1914年(大正3年)12月に東京駅が開業すると、1・2列車も東京駅始発となった。
1923年(大正12年)7月、同区間に三等車のみで構成された3・4列車が運転開始される。そこからも分かるように、この列車はどちらかと言えば大衆向けの設定であった。昭和に入ると特急列車に「列車愛称」が付けられるようになり、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の4種のみにとどまることとなった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線(東海道本線、山陽本線、鹿児島本線、長崎本線)のみで設定されていた。そして太平洋戦争の激化により、1944年(昭和19年)4月を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。
富士(ふじ) 1929年(昭和4年)9月、当時の国有鉄道を運営していた鉄道省は前述した1・2列車に「富士」と命名した。これは日本初であり、また公募によるもので(公募については列車愛称を参照)、後述する「櫻」・「燕」もそこから命名されている。「富士」は戦前の日本を代表する列車となり、一等展望車を最後尾に連絡していた。1942年(昭和17年)11月、関門トンネルの開業により「富士」は運転区間を長崎駅まで延長、翌年博多駅までに短縮し、1944年(昭和19年)4月に廃止となった。

 

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